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静岡地方裁判所 昭和61年(ワ)558号 判決

主文

一  被告らは、原告青木輝男に対し、連帯して金二五〇三万円及び内金二二八三万円に対する昭和六一年八月五日から、内金二二〇万円に対するこの判決確定の日から、それぞれ支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告らは、原告青木美耶子に対し、連帯して金二四〇三万円及び内金二一八三万円に対する昭和六一年八月五日から、内金二二〇万円に対するこの判決確定の日から、それぞれ支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  訴訟費用は被告らの負担とする。

四  この判決は、第一項及び第二項に限り仮に執行することができる。

理由

一  事実関係

1  争いのない事実等

請求原因1記載の各事実及び同2(一)中、徹が、夏休み期間中であつた昭和六一年七月三〇日午後三時ころから、焼津中学校格技場内柔道場における柔道部の練習に参加し、被告一郎の約束稽古の相手方となつたこと、その練習中、徹は、被告一郎から大外刈りをかけられ頭部を強打し、左側頭部脳挫傷の傷害を受けたこと、その結果、急性硬膜下血腫により、同年八月五日午後二時過ぎころ、死亡したことの各事実は、当事者間に争いがない。

また、同(二)中、徹が、焼津中学校に昭和六一年四月に入学し、同月末ころ柔道部に入部したが、同部入部まで柔道の経験はなかつたこと、同人の体格は、身長一四六・九センチメートル、体重四六・六キログラムであつたこと、他方、被告一郎は、徹の二年先輩で、柔道の有段者であつたこと、同人の体格は、身長一六五・四センチメートル、体重六二・二キログラムであり、徹と身長において約二〇センチメートル、体重において約一五キログラムの差があつたことの各事実は、原告と被告甲野らとの間において争いがなく、被告焼津市との間においては、弁論の全趣旨により容易に認めることができる。

2  柔道部の日常の練習状況等

《証拠略》を総合すると、次の各事実が認められる。

(一)  焼津中学校柔道部には、本件事故当時、徹及び被告一郎を含めて二六名(三年生六名、二年生九名、一年生一一名)の生徒が所属していた。柔道部には、各学年毎に一名の部長がおり、後記の顧問やコーチと部員との連絡に当たつたり、練習の際のリーダーを務めていたが、そのうちの三年生の部長が柔道部全体を統括していた。本件事故当時の三年生の部長は丙川竹夫、二年生の部長は乙田三郎、一年生の部長は丙田四郎であつた。焼津市内には誠道館という柔道場があり、少年の柔道指導が行われていたことから、部員の中には、小学校時代から同道場において柔道に親しんでいた者も含まれており、対外試合でも例年優秀な成績を収めるなど、その水準は比較的高かつたが、中学校入学後、柔道部に入部してから柔道に接した者も少なからずいた。

そのような中で、被告一郎も、同中学校に入学してから柔道を始めたものであるが、昭和六一年五月には初段を取得し、いわゆる黒帯を着用していた(なお、同年七月までには当時の三年生部員は、いずれも初段を取得してた。)。また、被告一郎は、大外刈りと払い腰を得意技としていた。

他方、徹は、小学校時代は、少年野球チームに所属し、練習も欠かさずに出席するなどしていたが、スポーツはむしろ不得意な方に属し、中学一年の一学期の成績も、体育の評価は一〇段階中三であつた。自らの希望で中学進学に際して柔道部に入部したが、入部後三か月余りを経た同年七月の時点でも、側方受け身で両脚が重なつてしまつたり、後方受け身ではあごを出して後頭部を畳に打ちやすいなど、受け身を十分にとることができず、また、練習中にしばしば泣き出すこともあるなど、一年生部員の中でも、体力的・技能的に劣つていた。

(二)  柔道部の顧問は、同中学校の前記新間教諭及び同森本真紀教諭の二名であつたが、柔道三段を持つ新間教諭が専ら日常の練習等の指導に当たつており、森本教諭は対外試合の引率等の補助をする程度の関与に止まつていた。また、焼津市柔道連盟に属し、前記誠道館で柔道の指導に当たつている松本正弘(柔道四段)が昭和五三年ころから、また同連盟の会員である北原捷郎が昭和六〇年二月ころから、折りを見ては柔道部の練習に訪れ、いわゆるコーチとして実技の指導に当たつていた。これらコーチの指導は、学校からの正式の委嘱によるものではなく、あくまで松本らのボランティアとして行われていたものであるが、民間篤志家による指導として柔道部顧問はもとより、学校長もこれを積極的に受容し、その指導を歓迎していた。

(三)  柔道部の練習等は、昭和六〇年四月に校内の給食調理場が改装され格技場となつて以来、同格技場の西半分の板張りの床に発泡スチロールの緩衝材を敷いた上に畳九一枚を敷き詰めて柔道場とし、専ら同所で行われていた(なお、同格技場の東側半分は、板張りのまま剣道部が剣道場として使用していた。)。

格技場入口には施錠設備があり、その鍵は、教頭が一個を管理するほか、同所を使用する柔道部と剣道部の顧問が各一個、生徒指導の教諭が一個をそれぞれ管理することになつていた。しかし、格技場が完成して一か月くらい経過した時期に、前記松本から、当時の柔道部顧問佐藤大教諭に対し、「早朝など職員室が開いていないときや、学校の部活動が休みのときにも、私達が来て練習をさせたい。休日や先生の不在のときの格技場の使用については責任を持つから、格技場の出入口の鍵を生徒に持たせてほしい。」という申し入れがあり、佐藤教諭は当時の野々山教頭と相談の上、これを了解し、佐藤教諭が管理していた鍵のスペアキーを当時の三年生の部長に渡し、練習の都度職員室に鍵を取りに来なくてもよいこととした。以来、格技場のスペアキーは、柔道部員においても管理しており、本件事故当時、一年生及び三年生の各部長がそれぞれ一個ずつのスペアキーを有し、管理していた(他に二年生部員が一個を保管していたが、昭和六一年七月中旬ころ紛失している)。特に、一年生部員は、日常の練習の開始前に上級生よりも先に格技場に参集して掃除を済ませた上、上級生を迎える慣行となつていたため、一年生の保管するスペアキーで毎日格技場の鍵を最初に開けることになつていた。また、鍵を保管する部員が都合により格技場に早くに来られない場合に備えて、格技場の窓のうち一箇所は施錠をしないでおき、窓から格技場内に入り込んだ上、出入口の鍵を内側から開錠するということもしばしば行われていた。これらにより、部員らは、事実上自由に格技場へ出入りができる状態にあつた。

右部員による格技場のスペアキーの所持については、新間教諭も着任後間もなく知るに至つたが、本件事故発生に至るまでそれまでの扱いを改めることはしなかつた。また、中沢校長もこれを認識していたが、前記効率的な練習に資することや生徒が体育の授業の際に部室を着替えに使用する必要があり、柔道部については格技場が部室に該当することから、これを是認していた。

(四)  柔道部の練習日は、毎週火曜日から土曜日までの各放課後及び日曜日であつた。

日曜日の練習については、コーチが練習に立ち会うことができるときに限られており、三年生の部長がコーチの都合を確認しながら練習の実施を決めていた。顧問との連絡は専ら右部長が行い、コーチと顧問とが直接連絡を取り合うということはなかつた。

それ以外の練習日については、顧問の新間教諭が週に二、三回は自ら柔道着を着て練習に立ち会い、指導に当たつたり、また土曜日にはコーチの立ち会いが得られることが多かつたが、顧問もコーチも立ち会わないまま生徒だけで練習をする場合も希ではなかつた。

顧問あるいはコーチが立ち会う練習日においては、部員はその指導監督の下に緊張感のある練習をしていたが、その立ち会いがない場合には、部員自らが「(先生が)いるときはしつかりやつて、いないときはまあ大体適当にやるくらい、疲れないくらい。」、「一応、形だけつていうか、流すくらいにやる。」、というようにだらけたものになりがちであり、上級生が一年生に命じて顧問やコーチが途中から来ることに備えて見張りをさせることもあつた。

(五)  毎回の練習は、全員で正座をした後、三年生の部長の号令のもと、準備体操、補強運動(試合中によく使われる動作を強化するための運動)、受け身練習の後、組み技の練習に入るが、その練習方法としては、

〈1〉 打込み練習(技の型をとるだけで相手を投げるまではしない)

〈2〉 約束稽古(相手と予め投げる側・受け身をとる側を決めて行う練習)

〈3〉 乱取り(相互に自由に技を掛け合う試合形式の練習)

がある(なお、〈2〉の約束稽古は、投げる側・受け身をする側が交代するのが原則であるが、一方が他方を一方的に投げ続ける態様のものを「投げ込み」練習と称する部員もおり、原告の主張する「投げ込み」練習もこの趣旨であると解される。)。これらの練習を行つた後、体力トレーニング、整理体操を経て最後に正座をして終わるというものであつた。

しかし、入部後間もない一年生部員については、主として体力トレーニングと受け身の習得を中心に練習を行い、五月下旬ころからこれに寝技、立技の順で次第に技を折り混ぜていき、七月ころには、志太大会個人戦に一年生も四名が出場することができることとなつていたことから、それに備えて四種類くらいの技を覚え、約束稽古や軽い乱取り等を一年生同士で行つていた。

3  夏休み中の練習状況及び本件事故の前後の状況等

また、《証拠略》によれば、昭和六一年度の焼津中学校における夏期休業期間(以下「夏休み」という。)中の柔道部の活動について、次の事実が認められる(なお、これより後に認定する事実は、特に断らない限り、いずれも昭和六一年中のものであるので、同年中の事柄については暦年の表示を省略する。)。

(一)  焼津中学校では、各部活動毎に顧問教諭と部員とが協議して、夏休み中の対外試合の日程等を勘案した上、事前に活動日等の活動予定を定め、これを「夏休み行事予定」と題する印刷物にして全校生徒に配布し、各部は原則としてこれに従つて活動することになつていた。

柔道部については、七月二〇日に志太大会(焼津市、島田市、藤枝市、大井川町の中学校柔道部が参加)が予定され、順当に勝ち進めば、これに引き続いて同月二六日に中部地区大会団体戦、翌二七日に同大会個人戦、さらに八月二日に静岡県大会が予定されていた。同部の活動予定日は、これに合わせて、七月二二日ないし二五日、同月二八日、二九日、三一日及び八月一日と定められ、七月二一日及び同月三〇日は活動を行わない予定となつていた。

しかし、七月二〇日の志太大会の団体戦で優勝するという結果を受けて、右行事予定において非活動日とされていた同月二一日も部員全員による練習が行われ、さらに、同月二六日の中部地区大会団体戦においては敗退したが、翌二七日の同大会個人戦においては、三年生の丙川及び丁原が県大会個人戦の出場資格を得たことから、同月二九日の練習終了後、部長の丙川が翌日も午後四時から練習を行う旨を部員に伝え、さらに同夜、部の電話連絡網により、開始時間を午後三時に繰り上げることが連絡され、練習が行われることになつた。部員の多くは、当日が非活動日であると認識しており、丙川及び丁原の県大会個人戦出場を盛りたてるため、全体での練習となつたと理解していた。

(二)  夏休みに入つてからの活動については、志太・中部各地区大会には新間教諭の引率があつたほか、コーチの松本も七月二〇日及び同月二六日の試合に同行し、いずれの大会の日も、大会終了後、全部員、新間教諭及び同行した松本コーチは焼津中学校格技場に集合して反省会を開いた後に解散をしていたが、その余の活動については、当初から予定されていた練習日であると否とを問わず、顧問及びコーチの立ち会いはなかつた。

(三)  七月三〇日の本件事故発生前後の状況

(1) 同日、午後二時三〇分ころから、まず一年生部員が格技場の前に集まり、鍵を持つている一年生部員の前記丙田が来るのを待つていたが、同人よりも先に二年生部員が来たため、一人が格技場の予め施錠しないでおいた窓を探し、そこから格技場内に入り込んで出入口を内側から開錠し、部員は格技場に入り、掃除等を始めた。

午後三時ころには、三年生五名、二年生八名、一年生九名の当日の練習に出席した部員のほとんどが集まつたが、部長の丙川は、この日は練習開始の準備体操の号令をかけることなく、同学年の丁田五郎と練習を始めてしまつた。また、顧問の新間教諭も、松本・北原両コーチも立ち会つていなかつた。そのため、その他の部員は、午後三時一五分ころになつても柔道場の隅のほうにたむろしている状態で、柔道着に着替えないままの者もいた。見かねた被告一郎は、これに対して「早く練習をしろ。」と指示をしたが、準備体操等の指揮を取る者はなく、準備体操をしないままの者もいた。前記丁原の「一年生は二年生に稽古をつけてもらえ。」という指示の下、一、二年生は思い思いに約束稽古を始めた。二年生の相手を探しあぐねていた一年生部員五名は、被告一郎から「何をもたもたしている。」と叱責され、腕立て伏せ一〇〇回を命じられた。

(2) 徹は、当初二年生の戊田次郎と組んで乱取り練習を始めたが、練習を始めて五分くらいしたところで、戊田から技をかけられて倒された徹がいつものようにめそめそと泣き出したため、戊田は徹との練習をやめにしようとしたところ、被告一郎がやつてきて、「青木をかせろ。」と言い、相手を代わつた。被告一郎は、徹の受け身の取り方に問題があると考え、徹と組んで約束稽古を行い、徹を払い腰で一五回くらい、次いで右大外刈りで五回くらい投げたが、加減して投げたものの、五回程度、徹の頭が畳についてしまつた。そして、徹が被告一郎との練習をいやがるそぶりを見せたため、被告一郎は、徹に対してプロレス技の真似のようなことを二回にわたつて仕掛けたが、これによつて徹が頭を畳に打つということはなかつた。

その後、被告一郎は徹の近くから離れ、別の部員の練習を見ていたが、しばらくすると前記丁原の指導のもと、徹が一年生部員の甲田とともに受け身の練習をしているのが目に止まつた。そこで、被告一郎は、格技場内に隣接する剣道部の練習場から竹刀を持ち出し、徹の受け身の取り方の問題箇所を竹刀の先で小突くなどして指導した。徹は、後方受け身及び側方受け身を各一〇〇回ずつ練習させられた。右回数は、受け身練習としては異常なものであつた(この点については、証人工藤信雄の証言も併せて認定)。

右受け身練習の終了後、午後三時五〇分ころ、被告一郎が徹と組んで練習を再開した後に、被告一郎が徹に対してかけた大外刈りにより、徹が後頭部を打ち、意識不明になつた(詳細については後に検討する)。

四  事故後の経過

(1) 倒れたまま動かない徹に対して、丁原らは脳震盪を起こしたものと考え、いわゆる喝を入れたり、顔面に水をかけるなどして蘇生を試みたが、徹が意識を回復しないまま、嘔吐したため、事態の重大さに気付き、職員室の日直の教諭に連絡をした。間もなく、教頭及び日直の教諭が駆けつけ、着衣を緩めたり保温を図るなどの応急処置をするとともに、直ちに救急車を手配した。

徹は、意識がないまま救急車により焼津市立病院に搬送され、手当を受けたが、意識を回復することなく前記日時に死亡した。

(2) 焼津中学校では、焼津市教育委員会を通じて日本体育・学校保健センター静岡県支部に対し、本件事故による徹の死亡に関する死亡見舞金請求を九月八日付で行つた。しかし、同センター支部は、同年一〇月二三日、本件事故が学校管理下における事故とは認められないとして、同請求に対して不支給決定をした。

二 被告一郎の責任

1  本件事故の発生状況

前記のとおり、右受け身練習の終了後、午後三時五〇分ころ、被告一郎が徹と組んで練習を再開した後に、被告一郎が徹に対してかけた大外刈りにより、徹が後頭部を打ち、脳挫傷により八月五日に死亡するに至つたことについては争いがないが、原告らは、被告一郎が徹に対してなんらの加減もせず、畳の敷き詰められた柔道場の端付近で徹に対し大外刈りをかけ、徹を場外方向に投げ出したため、場外の板張りの床に頭部を強打した旨主張するのに対し、被告らは、被告一郎が大外刈りをかけたところ、徹が受け身を取り損ねて後頭部を打つたが、技をかけた場所も、徹が倒れた場所もいずれも場内であつたと主張するので、検討する。

(一) 被告一郎は、司法警察員及び検察官に対する供述調書(以下「員面」・「検面」のようにいう。)並びに本人尋問の結果において、「徹と甲田が前記のように受け身の練習をしていたが、被告一郎のところに受け身の練習が終わつたことを報告に来た。そこで、被告一郎は、徹に対して約束稽古を誘うと、徹がこれに応じたので、最初に徹に背負投げをさせ、次いで一郎が徹にゆつくりと大外刈りをかけた。徹は、後頭部を打つことなく、受け身をとつてすぐ起き上がつて来たので、被告一郎がもう一度大外刈りをかけたところ、今度は徹は畳に後頭部を打つてしまい、体の左側を下にしてうずくまつてしまつた。徹がまた練習を嫌がつているのかと思い、早く立つように声をかけたが、徹は二回にわたり四つんばいになつて立とうとしたものの、倒れてしまい、そのまま起き上がらなかつた。この時、板の間に頭を打つたということはない。前記プロレス技をかけた時点と前後して、徹が練習を嫌がつて道場の畳の端に板の間を背にして座り込んでしまつた時に、座つている徹の右肩を右手で突き放したことはある。この時、徹は、右後方に倒れ、頭と右肘とを板の間に打つたが、激しく打つたということはない。徹が疲れていたという意識もない。自分としては、二度目の投げは、タイミングがずれてやや強引になつたとは思う。それと徹の受け身の失敗が重なつて事故になつたと思う。」旨を述べている。

(二) これに対して、戊原五郎の員面及び同証人の証言によれば、「同級生の乙川九郎と、休み休み乱取りをやつていると、ゴーンという音がしたので音がした方を見た。柔道場の畳の東の端で徹が剣道場の方に上半身を出して仰向けに倒れていた。その横で被告一郎がふざけて『五、四、三、二、……』と数えていた。徹が自分で体を起して立ち上がるのを待つと、すぐに畳の方に襟を掴んで引つ張り、再び右大外刈りをかけた。すると、徹は、仰向けに倒れたままウーといつて動かなくなつた。」と述べている。

(三) また、乙号証として提出されている他の部員の員面をみるに、練習に出席していた部員は、本件事故を知つた状況について次のとおり述べている。

(1) 一年生部員の甲原六郎の員面

「午後三時四五分ころ、ドカンという大きな音がしたのでびつくりした。どういう拍子かよくわからないが、被告一郎と組んで練習をしていた徹が上半身を剣道場に、下半身を畳の上にして大の字になつて寝ていた。練習が続いていたので坂口と練習を再開すると、一、二分後、みんな徹のところに集まつたが、徹の呼吸が荒くなつていた。」

(2) 同乙原七郎の員面

「二年生の丙原と投げ込み練習をしているとき、何気なく他の人の練習の様子を見ると、徹の身体が宙に浮いている状態から畳に落ちるところだつた。徹は、一人で立ち上がり被告一郎と組んだが、また投げられた。徹は、今度は頭を床にぶつけたようで、体の半分が畳からずれているようだつた。徹は仰向けの状態から立ち上がろうと中腰になつたが、そのまま崩れるように後ろに倒れた。」

(3) 同甲川八郎の員面

「徹が受け身の練習を終えて被告一郎と再び投げ込み練習を始めてから一、二分位したとき、バーンという大きな音がしたので、練習を中止して音のした方を見ると、徹が剣道場の床の上に頭が、畳の上に体がある状態で倒れていた。徹はぐつたりしたようで、全然動かなかつた。」

(4) 同丙田四郎の員面

「腕立て伏せをしていて、たまたま顔を上げると、徹が後ろに倒れ、剣道場のある板の間の方に畳の上から上半身を出して倒れていた。徹は立ち上がるようにして中腰になつたが、そのまま畳の上に倒れてしまつた。」

(5) 二年生部員の乙川九郎の員面

「柔道上の畳の端のところに立つていた私の耳にドスンという(判読不能部分略)柔道場の畳の東の端に、徹が頭を剣道場の床に、下半身を柔道場の畳の上にして仰向けに倒れており、足元に被告一郎が立つていた。倒れた徹は、元気がなく両ひざをついてモソモソと立ち上がり、また被告一郎の柔道着の襟や袖口を掴んだが、被告一郎は徹を畳の方に引つ張り込むようにして、大外刈りをかけた。徹は仰向けに倒れたまま動かなくなつた。」

これらの供述は、必ずしも事態の推移について完全に一致するものではないが、大きな音がしたとする点や徹が上半身を剣道場の板の間に出して倒れていたとする点で一致している。そして、右音の点については、明示的に畳の上で受け身をとるのとは異質な音であるとするものもあるが、そうでないものについても、この音が、被告一郎と徹の練習状況について練習中の各部員が関心を向ける契機となつたものであることに鑑みると、通常の練習において畳の上で受け身をとる場合に生ずる音とは異質のものとして供述者に記憶されたものと解するのが自然である。

他方、「徹が倒れているのを見たのは畳の上であつた」、「道場中央東端の畳のところに倒れていた」というものもあるが、いずれもそれまで練習をしていた他の部員が事故に気付き練習を中止したり、ざわつくなどといつた周囲の様子から事故に初めて気付いたという者の供述であり、また、事故の発生状況を見ていなかつたとして、具体的な供述をしていない部員も少なくないが、事故の発生状況ないしは直後の状況について、徹が倒れたときに板の間には頭を打つていないことを目撃ないし明確な根拠に基づいて推論している供述は存しない。

(四) また、当日の被告一郎の練習ぶりについて、前記戊原は、「俺は県大会に行けないから腕を折つても何をしてもいいわ、と不貞腐れたような態度であり、荒れているなという印象を受けた。疲れている徹に対して一方的に投げ込んでいた。」と述べ、前記丁原も「受け身練習を終えて再び被告一郎と練習を始めたとき、徹は息をハーハーさせて苦しそうだつた。被告一郎に対し、少しやりすぎだから、やめた方がいいんじやないか、と忠告した。」と述べている。

その他、当日の練習の一般的傾向として、いわゆる「しごき」や「いじめ」というものではないとしながらも、「約束稽古においても顧問やコーチから攻守を交代するように指示する号令がないため、交代がなく、上級生が下級生を一方的に投げる『投げ込み』の感じであつた。」とするものがあり、さらに、「被告一郎は、徹を今までに少し強いくらい乱取りで投げたりしていたことがあつたので、今日も徹に対してやつているな、と思つた。これを僕等が止めたりしたら僕等がやられてしまう、と思つたから止めなかつた。」、「三年生が下級生に対してわざと痛い思いをさせていると思えてならない。」、「被告一郎は、特に柔道が上手でない徹に対してきつい練習をさせていた。」という感想を漏らす部員の供述がある。

これらの供述を総合すれば、被告一郎が徹に対して、いわゆるいじめやしごきとまでは認められないものの、日頃から特に同人の技量や体力に応じて手加減をするというよりも、その技量に比して厳しい練習を課してきたこと、当日もその例外でなかつたことが窺われる。

(五) 他方、《証拠略》によれば、本件事故後の八月七日に、焼津中学校では当日の練習に参加した柔道部員等に対して無記名のアンケートを実施したこと、これは事故発生日の午後三時から午後四時の間の一時間につき、これを一〇分毎に徹と被告一郎の動向について記載させたこと、調査対象者が自己の練習に集中していたりして、本件事故の発生及びその前の両名の練習状況について注視していたわけではなく、また、それぞれの内容が正確に符合するものではなかつたが、その結果をまとめたものが丙第九号証の別紙{I}であること、同別紙には、被告一郎が徹に対してプロレス技をかけたり、竹刀を使つて受け身練習の指導をしたこと及び一五時四〇分の頃に「再び、徹と被告一郎が練習を始めた(三、四分)。最初被告一郎が徹に技をかけさせ、投げられたときの受け身のとり方を見せた。その後、被告一郎が立ち技から出す投げに受け身を取らせた。被告一郎が大外刈りをかけるような(両手の使い方)形で徹の右肩を押したとき、徹が上半身を畳の外に出し、右肘を床に突いて倒れた。徹が起き上がり場内に戻つたとき、もう一度大外刈りをかけた。二回目の大外刈りの直後には起き上がろうとする動きがあつたが、立ち上がれずそのまま意識がなくなつた。」との記載があること、同別紙は前記日本体育・学校保健センター静岡県支部に対する本件事故による徹の死亡に関する死亡見舞金請求(九月八日付)の際に添付書類とされ、また、その提出書類である丙第五号証の二中の事故内容報告書作成の資料となつたものであること、生徒から徴したアンケートの用紙は、調査当日に右のまとめが済んだ段階ですべて焼却処分とされたこと、直ちに焼却処分にした理由は、一応の調査の目的を達したことに加えて、中沢校長ら右調査に携わつた者の判断において、一、二あつた回答の中には教育的配慮上残しておくことに問題があると考えられるものがあつたからであることが認められる。

右認定の事実によれば、八月七日のアンケート時の各部員の回答の内容は、ほぼ(三)及び(四)の員面の内容に符合するものであつたことが推認される。

(六) 他方、《証拠略》によれば、徹の頭部には、入院時・検視時にも、手術創以外の外傷の所見はないこと、徹の治療に当たつた小豆原秀貴医師は、身体に竹刀や木刀等によると思われる傷はない、頭部には外傷がみられないが、柔道の練習中の発病であるとの関係者の説明から、畳のような柔らかいものに強く頭を打ちつけて発症したと考えるのが自然であるとしながら、希に固い床等に頭部を打ち付けた場合にも、外傷を伴わずに発症することもあるとしていることが認められる。

(七) 以上(一)ないし(六)の証拠関係から検討する。

被告一郎の供述は、徹を倒したのは畳の上で、板の間に頭を打ちつけたことはないとする点で、事故直後の員面における供述から当法廷における供述まで一貫しており、また、頭部に外傷がないことなどとも整合するものではあるが、徹との練習の態様や練習の激しさについての供述はあいまいであり、自己の責任を回避しようとする姿勢がうかがわれないではない。

これに対して、前記戊原の証言及び同人の員面における供述は、具体的で、かつ、一貫しており、反対尋問にも十分に耐え得たものである。なるほど、同人に対する証人尋問は本件事故後二年六か月余を経過して行われていること、同人の員面の録取に当たつては、警察は当初事情聴取及び調書の作成をしていなかつたところ、昭和六一年九月一六日に原告輝男が戊原が本件事故前後の状況を知つている旨を警察に申述してその録取を働きかけたこと、戊原の調書の録取が他の一連の柔道部員の調書録取に大幅に遅れた同年一〇月二六日となつていることという信用性の判断において慎重に考慮しなければならない諸事情のあることは否定できないが、それらは、本件事故発生時ないしは直後の状況をそれぞれ異なる立場から目撃している他の柔道部員の前記(三)の供述とも、大きな音がしたとする点や徹が上半身を剣道場の板の間に出して倒れていたとする点で、また、前記(五)のとおり、これと基本的に同内容の回答を前提とするものと認められる学校側が柔道部員に対して事実調査のために実施したアンケートの整理結果とも一致する上、前記(六)の徹の外傷の状況との関係でも、これと矛盾するものではない。そうすると、戊原の員面供述及び証言並びにこれと符合する柔道部員の各員面供述の信用性は高いと認められ、これに反する被告一郎の員面及び本人尋問の結果は採用することができない。

(八) 以上によれば、前記受け身練習の終了後、午後三時五〇分ころ、被告一郎が徹と組んで練習を再開したが、徹はそれまで一方的に投げられたり、過度の受け身練習をさせられたことにより、相当疲労していたこと、被告一郎は、そのような徹に対して畳の敷き詰められた柔道場の端付近で大外刈りをかけたこと、徹は後方に転倒し、後頭部を剣道場との境付近の板の間に打ちつけたこと、徹はこのときよろめきながらも立ち上がつたこと、その後再び被告一郎が徹を場内に引つ張り込むようにして大外刈りをかけて徹を畳の上に転倒させたこと、徹は立ち上がろうとする動きを見せたが、そのまま意識不明の状態になつたことが認められる。

2 ところで、《証拠略》によれば、被告一郎が徹に対して用いた大外刈りは、相手の右脚の外側に体を進めながら、相手を右足の斜め後ろに崩し、右足で外側から相手の右脚を刈つて投げる技であるところ、柔道の技としては最も一般的なものに属し、中学生においてもいわゆる禁止技とはなつていないこと、しかしながら、この技は相手が真後ろに倒れるため、後頭部を打つ傾向が強いこと、したがつて柔道において死亡事故や植物人間になるなどの事故を最も多く発生させる技であること、そのため、この技の指導に当たつては、掛け方及び受け方の練習においては、相手が頭を打たないように注意する必要があり、掛ける側は、相手の袖の保持を確実にするとともに刈る足を後ろに高く刈り上げないことが要請されること、実戦的な迅速で力強い刈りは、受け身が相当上達した段階から指導するのがよいとされていることが認められ、これに反する証拠はない。

3(一) 1及び2で認定した事実に、前記一1、2(一)、(四)、3(三)で認定した各事実を総合すると、被告一郎は、中学三年生ではあるが、有段者であり、柔道の技、とりわけ大外刈りの危険性及び受け身の重要性について十分な認識を有し、また、徹が、普段から十分に受け身ができない(前記1(三)(2)のとおり、被告一郎が手加減をして投げたにもかかわらず、徹は、二〇回中五回も畳に頭が付いてしまつたというし、一人受け身の練習でも竹刀で小突いて問題のある箇所を指摘している。)上、当日の四〇分程度の間休みなく続いた練習により、相当に疲労困憊していたことについても認識していたものと認めるのが相当である。

右によれば、被告一郎としては、徹に対して実戦的な観点から受け身の練習をさせようと考え、約束稽古の形式を用いたこと自体は、当時既に一年生同士の間では約束稽古や乱取りなどの練習が新間教諭やコーチの指導のもとで始められていたのであるから、このことをもつて直ちに注意義務違反が存するものとは解されないにしても、徹のように技能的・体力的に未熟な初心者の指導・練習をするにおいては、相手の技能を超えた技をかけたり、あるいは、相手の疲労度に留意せずに技をかけたりした場合、相手が技を受け損じて後頭部を床に打ちつけるなど危険があるから、相手の技術の程度、身体の状態、疲労度などを把握し、適宜休息を与えたり、できる限り大外刈りのような受け身の取りにくい技を用いるべきではなく、代わりうる受け身の取りやすい(あるいは、受け身を取り損ねた場合でも大事に至りにくい)技を用いるなど、かける技を選択し、また、徹との身長差等から、大外刈り以外の技を用いにくいというのであれば、徹が後頭部を打たないように袖を確保するとともに、技を掛けるスピードについても、相当緩やかにするなど、技のかけ方に留意して練習を実施すべき危険防止義務があるというべきである。

また、被告一郎としては、本件柔道場の場外は板張りの床であつたのだから、前記のように受け身の十分でない徹に対し、場内外境界付近で技をかけることは、頭部を板張りの床に打ち付ける可能性があり、危険であるから、そのような場所で技を仕掛けてはならない義務が存するというべきである。

そして、前記認定事実によれば、これらの義務が尽くされたのであれば、徹が板張りの床に後頭部を打ち付けて脳挫傷の傷害を負い、死亡するに至るという結果は回避されたものと認められ、初段である被告一郎においてこれを履行することが困難であつたことを窺わせる事情は存しない。

しかしながら、被告一郎は、前記1に認定のとおり、徹に対して特に休息をとらせていなかつたばかりでなく、かける技の選択ないし技の掛け方についての右配慮を怠り、さらに、前記のように右境界付近で徹に対して大外刈りの技を仕掛け、徹を上半身が場外の板の間に出るような状態で転倒させ、後頭部を同床に打ち付けさせたものであるから、右危険防止の義務に違反するというべきであり、この点において被告一郎には過失が認められる。

(二) 被告甲野らは、本件事故当日の被告一郎の徹に対する練習に過酷な点はなく、被告一郎は、柔道のルール及び危険防止義務を守つて練習を行つたものであるから、本件事故は、柔道というスポーツに本来的に内在する危険に伴う事故であり、被告一郎の行為に違法性はない旨主張するが、徹との関係では、その練習方法及び技の掛けかたに問題があつたことは前記のとおりであり、その技量及び体力が隔絶するなかで、徹の技量・体力に応じてなされたものでない大外刈りの技により生じた本件結果は、柔道というスポーツに内在する危険に伴う不可避的な結果ということはできないから、採用することはできない。

以上によれば、被告一郎は、原告らに対して民法七〇九条に基づき後記損害を賠償すべき責任がある。

三  被告太郎及び同花子の責任

1  右被告両名は、本件事故当時、被告一郎の共同親権者であり、また、現に養育監護をしていた事実については、当事者間に争いがないから、右被告両名は未成年者である被告一郎の生活全般にわたつて法定監督義務者としての監督する地位にあつたものである。

2  ところで、不法行為を行つた被告一郎は、当時未成年者であつたが、その責任能力の存在については争いがないから、親権者の監督義務の懈怠と当該未成年者の不法行為によつて生じた結果との間に相当因果関係が存する場合には、親権者は、不法行為責任を負うものと解するべきである。

3  原告らは、右被告両名は、被告一郎がその性格及び気質からすれば、夏休みの開放感も手伝つて本件のような過酷な練習を下級生に課することが十分予見できた旨を主張するところ、前記二に認定の事実及び《証拠略》を総合すると次の事実が認められる。

(一)  被告一郎の三年次の担任教諭は、同人について、「年頃なので少しくらいの悪ふざけはするが、不良じみた点はない。柔道部の顧問から特に悪評は聴いていないので、まじめに出席して練習に励んでいると思つており、また、自分の眼の届かないところで下級生や弱い者いじめをしたり、問題になるようなことをするということも耳にしていないので、安心していられる子と認識している。」と評していること

(二)  前記一、二年生の柔道部員らも、被告一郎を含め、三年生部員による下級生に対するいじめやしごきのようなものはなかつたとしていること

(三)  しかし、他方で前記二1(四)のとおり、被告一郎は、当日、俺は県大会に行けないから腕を折つても何をしてもいいわ、と不貞腐れたような態度であり、荒れている様子だつた旨供述する部員がいる上、「被告一郎は、特に柔道が上手でない徹に対してきつい練習をさせていた。」とか「被告一郎は、徹を今までに少し強いくらい乱取りで投げたりしていたことがあつたので、今日も徹に対してやつているな、と思つた。これを僕等が止めたりしたら僕等がやられてしまう、と思つたから止めなかつた。」などと、日頃から徹に対して厳しい練習態度で臨んでいたことが窺われること

(四)  その担任学級(第二学年)に柔道部員が三名いるという教諭は、被告一郎を含む三年生部員中の三名が異常なくらい練習を強いる上、「練習を替えるぞ」などと言つて指導ではなく乱暴な柔道以外のことをするとして、下級生は右の三名を恐れていた旨述べていること

(五)  被告太郎及び同花子においても、被告一郎が一年生の当時は、焼津中学校のPTAの役員を被告太郎が勤めたこと、その当時、同学年の柔道部員の「いとう」なる者をいじめたとして、同人の父親から苦情を申し入れられたことがあつたこと、これは、同人が柔道部の練習をさぼることが多かつたことから、当時の一年生部員の多数も加わつて同人を囲み、小突くなどしたものであること、被告一郎が中学三年生時代は柔道部一本で練習に励んできて、それゆえに非行等の問題行動を起こすこともなかつたと認識していること、被告一郎が中部地区大会で敗退し、県大会の出場権を得られなかつたことはその当日に知つていたこと

4  以上によれば、被告一郎には、非行などの問題行動の存在を窺わせる事情は存しないが、部活動においては、下級生に対して荒い投げ方をしたり厳しい練習を強いるなど、運動部における上級生と下級生の関係を考慮に入れてもなお相手に対する配慮を欠いた行動に出る傾向がうかがわれ、夏休みの開放感あるいは県大会の出場資格が得られなかつた挫折感から、右傾向が助長される状況にあつたと推認することができる。また、被告一郎は、過去に同学年の柔道部員をいじめたとして、その父親から苦情を申し入れられたことがあつたこと、これは、被告太郎の認識においても、同部員が柔道部の練習をさぼることが多かつたことから、当時の一年生部員の多数も加わつて同人を囲み、小突くなどしたものであるというものであつて、いわば柔道部の統制が目的であつたというのであるから、三年生になつた時点でも、そのような行動を柔道部の下級生に対してとるかも知れないこと、ひいては練習において下級生に対してことさらに厳しい練習を強いるかもしれないということの認識は可能であつたというべきである。そうすると、被告太郎及び同花子としては、被告一郎の法定義監護義務者として、同人が部活動において下級生に対してそのような行動に出ないように日頃から一般的な注意を与えるべき義務があつたというべきであり、これが尽くされていたならば、被告一郎において、体力に劣り、受け身等の技能の未熟な徹に対し、ことさらに厳しい練習を課したり、大外刈りをかけて本件事故を惹起することを未然に防ぎ得たというべきである。

しかるところ、本件全記録によるも、この点について被告太郎及び花子が被告一郎に対してそのような注意を与えていたことを窺わせる証拠はないのであり、むしろ、被告一郎が前記経過により本件事故を惹起させたことによれば、右注意を与えていなかつたことが推認される。

そうすると、被告太郎及び同花子は、右監護義務者としての注意義務を懈怠し、その結果被告一郎をして本件事故を惹起するに至らしめたものであるから、右監護義務違反に基づく民法七〇九条の不法行為責任が存するというべきである。

なお、右両被告は、本件柔道事故は、学校教育活動の一環としてのクラブ活動中の事故であるから、直接生徒・児童を指導監督している教師らに第一次的な監督義務があるのであつて、法定監督義務者には、監督義務は原則的にはない旨主張する。しかし、右法定監督義務者の注意義務は、被監督者の全生活関係について広汎かつ一般的に及ぶものであるから、後記四において、焼津中学校側の監督責任及びその懈怠が認められるか否かによつて左右されるものではなく、その結論にかかわらず後記損害を原告らに賠償する責めを免れないというべきである。

四  被告焼津市の責任

1  国家賠償法一条にいう「公権力の行使」には、公立学校における教師の教育活動も含まれると解するべきであり、教育基本法、学校教育法などの趣旨に照らすと、一般に義務教育を担当する公立中学校の教諭は、その職務上、生徒に対し教育活動を行うに当たり、それから生じる危険から生徒を保護すべき注意義務が課せられているというべきである(以下「安全保護義務」という。)。したがつて、この義務に違反すれば違法な公権力の行使として同法一条の適用がある。

しかしながら、右教育活動に伴う安全保護義務は、生活関係に基礎をおく親権者等の法定監督義務とはその機能及び根拠を異にするものであるから、当然のことながら、生徒の生活領域全般に及ぶものではなく、当該の教育活動関連領域にある生徒の行動の範囲に限定されるというべきであり、この教育活動関連領域にある生徒の行動の範囲に属するか否かは、場所、時間、行動態様、予測性等の事情を総合考慮して決すべきである。

2  ところで、本件においては、焼津中学校内の格技場で、同中学校が課外クラブ活動として認めている柔道部の部員等が練習をしている際に、その練習においてかけた技によつて本件事故が発生したことについては争いはなく、問題は、当該練習が、夏休み中で、かつ、学校側が定めた当初の活動計画においては非活動日と定められていた日に行われていたことから、このような練習中に生じた本件事故が、学校側において安全保護義務を負担する領域内にあるかという点にある。

(一)  前記一3のとおり、夏休み前に活動日等の活動予定を定め、これを夏休み行事予定として全校生徒に配布した中には、柔道部は、七月三〇日は活動を行わない予定となつていたが、他方、同じく非活動日として予定されていた同月二一日については、同月二〇日の志太大会で団体戦で優勝したという結果を受けて、部員全員による練習が行われており、さらに、同月二六日の中部地区大会団体戦においては敗退したが、翌二七日の同大会個人戦においては、三年生の丙川及び丁原が県大会個人戦の出場資格を得たため、さらに、同月二九日の練習終了後、部長の丙川が翌日も午後四時から練習を行う旨を部員に伝え、さらに同夜の電話連絡網により、開始時間を午後三時に繰り上げることが連絡され、三〇日の練習が行われる運びとなつたこと、部員の多くは、当日が非活動日であると認識しており、丙川及び丁原の県大会個人戦出場を盛りたてるため、全体での練習となつたと理解していたこと、本件当日の練習には、総部員数二六名中、その大半である三年生五名、二年生八名、一年生九名の合計二二名の部員が参加したことがそれぞれ認められるのであり、これらによれば当日及び七月二一日の練習のいずれについても、柔道部員有志による個人的練習ということはできず、部としての組織的な練習であつたということができる。

(二)  また、新間教諭は同認定のとおり、志太・中部各地区大会に部員引率のため同行しており、コーチの松本も七月二〇日及び同月二六日の試合に同行しているところ、

(1) 《証拠略》及び前記丙第五号証の二を総合すれば、当初予定されていなかつた七月二一日に練習を行うことについては、前日の志太大会終了後、新間教諭も同席する中で、前記松本コーチらが「県大会までは休みはないぞ。」「明日も練習をやる。」などと発言したことから、その場で決定されたが、新間教諭はこれについて何の指示もしなかつたこと

(2) 《証拠略》によれば、七月二七日の中部大会個人戦終了後、焼津中学校格技場に戻つてから開かれた反省会の席上、部長の丙川が部員に対し、三〇日も練習をする旨予告したこと、また、松本コーチが同月二九日の夜、丙川に対して電話をかけた際に、「明日の練習はどうなつている。北原コーチが指導に行けるかもしれない。」と練習の実施を促す発言をしていたこと及び同コーチは昭和六一年度については三〇日が活動予定では非活動日になつていることを知らされていなかつたことが認められる。

ところで、右丙第五号証の二及び第九号証が、いずれも前記のとおり、焼津中学校において本件事故後間もない時期にその調査結果をまとめた書面で、焼津市教育委員会及び日本体育・学校保健センターに対する報告のために作成されたものであることに鑑みると、基本的に信用に足りるものと認められる(この点、右丙第五号証の二の記載につき、証人中沢勝夫は、一人の生徒の尊い生命が失われたという結果に対して学校として災害共済給付金の支払いを得られるようにするため、被災者に有利な事実を誇張した記載をした部分がある旨証言するけれども、具体的にどのような事実についての記載がどのように誇張されているのかについては明らかではない上、右記載は、むしろ本件事故当日の練習が学校の関知しない生徒らによる自主練習であつたという点を強調しているものと認められ、当時学校側が調査により知り得た事実が、ことさらに学校側ないしは被告焼津市に不利に働くように記載されているものとは考えられない。)。

そして、これらによれば、七月三〇日の練習決定の過程において直接の影響力を有していたのは松本コーチらであることが認められ、顧問の新間教諭が積極的に三〇日に練習をするように指示したことを窺わせる証拠は存しない。しかしながら、右(1)、(2)及び前記(一)によれば、七月三〇日の具体的な練習開始時刻等の決定は、二九日夜又は当日の生徒間の連絡網による電話連絡網でなされたとしても、七月二一日をも含めた非活動日に練習をすることに決め、それを最初に部員に伝達する場となつたのは、いずれも試合が終わつたあとの全部員、新間教諭及びコーチがそろつている場面であつたことが認められる。そうすると、右非活動日における練習は、顧問に秘して部員のみによる練習をすることを決めたというわけではないのだから、その場に居合わせた新間教諭は、このような動きを知り、非活動日も実質的には活動日として練習することを容認していたものと推認するのが自然である。もつとも、前掲の部員等の各員面に照らすと、右(2)の七月二七日の大会終了後の反省会における丙川部長の発言が明確に日程を変更する趣旨でなされたものであるかについては、疑いを容れる余地が全くないわけではなく、そうであれば、新間教諭は反省会の席では七月三〇日に練習をするとの日程変更がなされたものとまでは認識していなかつたことになる。しかし、仮にそうであつたとしても、右のとおり、七月二一日の実質的練習日への変更の経過及び前記(一)のとおり正規の練習日である七月二九日の練習終了時に丙川部長が翌三〇日の練習実施を部員の前で宣言していたことに照らすと、練習においての監督指導を十分に尽くすべき顧問の新間教諭においては、同日に柔道部としての組織的練習が行われることを容易に知りうべき立場にあつたというべきである。

(三)  ところで、新間教諭は、「夏休みの活動予定は、夏休み前に部員を交えた部集会で部員と自分が協議して決めた。中部地区大会、県大会の日程は当然考慮した上で、本大会の二、三日前を休みにするのはそれまでの練習の疲れを取るというコンディション作りの観点から合理性があり、また、三〇日は午前中三年生の登校日にあたつていたことから、暑い中でもあるので、生徒に休養を取らせる趣旨から非活動日とした。したがつて、中部地区大会で丙川と丁原とが県大会に勝ち進んだとしても、右のような理由に基づく非活動日であるから、練習日に変更する必要はなく、自分が知つていたなら練習をさせない指導をしたはずである。」という趣旨の証言をする。

しかしながら、非活動日である七月二一日及び二九日に練習を行うことについては、新間教諭においてこれを知り、あるいは容易に知ることができたのであるから、右供述は採用し難いところであるが、さらに、新間教諭あるいは学校側が活動予定表に記載された一般的注意を超えて、右目的も含めて非活動日に活動をしないように指導を徹底していたことを窺わせる証拠はなく(前記一及び二掲記の柔道部員の各員面をみても、特に非活動日に練習を行うことになつた点について、個人的不満は格別、当初の予定との関係で違和感を訴えているものは見当たらず、むしろ前年の例などを引き合いに県大会に出場する選手がいる以上、練習をすることは自然なことであると受け止めていたことが窺われる。)、新間教諭自身も、部集会において部員に対して右説明をしたとすることのほかに、志太大会や中部地区大会の終了後などに、特段の指導をした形跡は何ら存しない。そして、前記一のとおり、本件格技場の施錠については、柔道部員がスペアキーを所持し、事実上自由に格技場を使用することができたこと、顧問の新間教諭をはじめ学校側もこれを事実上了解していたことに照らせば、右証言にかかる活動予定立案の経緯があることをもつて、前認定を覆し、新間教諭において、本件当日の練習を予測し得なかつたとするに足りる事情ということはできない。

(四)  以上によれば、本件当日の練習が活動予定に定められた日以外に行われたものであるとしても、焼津中学校で課外クラブとして認可されている柔道部の組織的活動と評価するに足りる実体があり、かつ、学校側において活動予定表の活動日以外に練習等を行うであろうことを知り、又は容易に知りうべきであつたにもかかわらず、右活動予定の順守(すなわち非活動日の練習等の禁止)をかならずしも徹底していなかつたという右認定の事情の下においては、これも当該課外クラブ活動という教育活動の関連領域にある生徒の行動の範囲に属するものというべきであり、学校側が安全保護義務を免れることはできないと解するべきである。

(五)  なお、被告焼津市は、日本体育・学校保健センター法(以下「センター法」という。)一条及び二〇条一項二号が学校事故等に対する災害共済給付の支給される災害を「学校の管理下」における災害とのみ規定し、右「学校の管理下」の範囲については、同法二一条二項の委任を受けた同法施行令七条二項において、〈1〉正規の教育課程に基づく授業、〈2〉学校の教育計画に基づいて行われる課外指導、〈3〉学校の休憩時間中、〈4〉通常の経過による通学途上などに限定しているところ、生徒が自主的に企画し生徒らのみで実施する練習、あるいは、教諭が立ち会つてする練習であつても学校の教育計画(本件では夏休みの活動予定表)に基づかないものであるときは、当該練習中に生じた事故は学校の管理下において発生したものとはいえない旨を主張し、日本体育・学校健康センター静岡支部が本件事故が学校管理下における事故とは認められないと判定したことは前記一3(四)(2)認定のとおりである。

しかしながら、センター法及び同法施行令の定める災害共済給付は、所定の学校管理下において生じた事故である限りは、個々の活動の意義・目的やその発生についての学校側の過失責任の有無を問わず、一定の給付をする趣旨から、「学校管理下」の範囲を定めているものと解される。これに対し、過失責任である本件国家賠償法一条の請求にあつては、過失判断の前提として学校側が教育活動を行う上で安全保護義務を負担する領域はどこまでかを検討すべきものであり、その範囲は、前記のとおり当該の教育活動関連領域にある生徒の行動の範囲をもつて画するべきであり、その判断に当たつては、個別事案毎に場所、時間、行動態様、予測性等の事情を総合考慮して認定すべきである。そうすると、制度目的及び責任の性質を異にするセンター法及び同法施行令の定める「学校の管理下」の解釈論を前提とする被告焼津市の主張は失当であり、採用することができない。

3  新間教諭の注意義務違反

(一)  本件事故は、前記二のとおり、顧問教諭もコーチも立ち会つていない部員だけで行われた柔道練習において、三年生で有段者である被告一郎が、一年生で柔道の初心者で体力も劣つている徹に対し、柔道場境界付近で大外刈りをかけて転倒させ、場外の板張りの床に後頭部を打ち付けさせたことにより生じたものであるところ、右のような事故が発生する危険性は、前記2(二)の事情に柔道が格闘技として高度の危険性を内在するスポーツであること及び中学生が未だ身心の発達が十分ではなく、体格に比して各臓器の発育が不十分なばかりか情緒面でも時に感情の赴くままに行動するなど、安定度が高いとはいえない年齢層に属することを併せ考慮すれば、顧問教諭において当然に予見することが可能であつたというべきである。

(二)  確かに、課外活動教育においては、生徒の自主性を最大限尊重する教育上の要請も否定できないものの、右中学生の身心の特質及び柔道の有する危険性に照らすとき、柔道部の練習を全面的に生徒の自主性に任せることは危険防止の観点からは許されず、中学校の柔道部の練習においては、原則として顧問教諭はこれに立ち会つて監督すべき義務があると解すべきである。もとより、顧問教諭が処理すべき校務等の関係で練習に現実に立ち会うことが不可能な場合があることも否定できないが、万一、所用などのため、自ら立ち会うことができない場合には、立ち会うことのできない当該練習を中止させるか、危険のない練習内容にとどめるか、又は、自己に代わる然るべき指導監督者を付するとともに、他方、平素から顧問教諭の具体的指示を待たずに部員だけで練習を行うことがないように指導を徹底し、顧問教諭の監督が及ばないところで部員が勝手に危険な練習をすることがないように、練習場所の使用についても管理をするなどして、その安全を確保すべき義務があるというべきである。

新間教諭は、前記2(二)のとおり、七月三〇日に練習をするという部員らの動きについて、認識していたと推認され、仮にそうでなかつたとしても、これを容易に知り得たのであるが、前記一2(二)ないし(四)及び同3(二)に認定の各事実及び前記二に認定の本件事故の発生状況及び練習の経過並びに格技場の出入口の鍵の管理状況等の事実によれば、同教諭は、本件事故に至るまでの間、必ずしも全練習に立ち会い監視をしていたわけではなく、ことに夏休みの活動の練習については、前記各大会当日に引率した以外、全く立ち会つていなかつたにもかかわらず、そのような場合に、自己に代わつてコーチに立ち会いや指導をしてもらつたり、それができないときには危険な練習を禁止するなどの具体的措置を講ずることなく、また、柔道場のある格技場の管理について、格技場の出入口の鍵のスペアキーを部員に委ねていたため、顧問である新間教諭の許可を得ることなく出入りをすることができ、部員は練習予定日であると否とを問わずその意向のみで練習をすることができる状況にあつたところ、これを認識しながら、スペアキーの管理方法を改めるとか、非活動日に練習等の活動をしないように厳に指導するなどの措置も何ら講じていなかつたというべきであるから、この点において、安全保護義務を懈怠した責任は免れない。

(三)  また、前記一1、2(一)のとおり、徹が新入部員の中でも体力・技能面で劣り、受け身すら十分にできなかつたところ、このような徹に対する練習の指導としては、同人の生命身体の安全を確保する見地から、顧問又はコーチの立ち会いの下でなければ危険な練習は禁止し、仮に立ち会いの下での約束稽古であつても、技量の隔離した三年生による投げ技の相手となることは避けさせるべきであり、前記二2のとおり、特に後頭部を打つ可能性の大きい大外刈りについては、徹のような受け身を十分にとることができない初心者に対しては相当の加減をするのでない限りは掛けることを禁止するような指導が必要であり、かつ、自己及びコーチが不在の練習においてもこれが厳守されるべく指導を徹底する必要があつたというべきである。しかしながら、新間教諭は、その立ち会いのもとでは、可及的に一年生同士で練習をするように指導していたこと及び部員もそのような認識を有していたことが窺われるものの、その立ち会わない練習においても、右指導が厳守されるよう、明示的な約束事として部員に示すなどの特段の方策を講じていたことを窺わせる証拠はなく、かえつて、顧問やコーチがいないときの練習がだらけたものになるとか、顧問やコーチが来ることに備えて一年生に見張りをさせるという日頃の部員等の練習態度、本件事故において被告一郎が徹に対してした練習の方法及び内容を総合すれば、日頃からこれらの指導がされていないか、されていたとしても徹底したものではなかつたことを優に推認することができる。そうすると、この点においても、新間教諭には安全保護義務の懈怠があると評価せざるをえない。

4  中沢校長の注意義務違反

一般に学校長にも各部活動の顧問教諭の指導監督について適切な助言監督をする義務があるというべきであるところ、本件においては、中沢校長は、格技場のスペアキーを生徒が保有していることを認識していたのであるから、このスペアキーによつて、柔道部員が顧問教諭の監督の行き届かないところで勝手に練習をして事故を起こす危険を予見することが可能であり、これを回避すべく、新間教諭に対し、スペアキーを顧問の管理に戻すとか、練習を行う場合に必ず新間教諭の事前の許可と具体的指導を必要とすることを徹底させるなど、危険回避のために適切な助言をなすべき注意義務があつたというべきである。しかしながら、中沢校長は、その証言によるも、生徒に対する一般的注意により、生徒らを信頼していたというにとどまり、本件事故が発生するまで具体的な危険防止措置を講じなかつたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠は存しない。してみると、中沢校長にも本件結果発生防止のための安全保護義務違反が存するものといわざるをえない。

5  以上によれば、本件事故は、焼津中学校の教育関連領域にある同校生徒の行動範囲内である柔道部の練習中に、同部顧問の新間教諭及び中沢校長の右各過失により生じたものであるから、被告焼津市は国家賠償法一条に基づき後記損害を賠償する責任がある。

五  損害

1  徹の損害

(一)  徹は死亡時において満一二歳(中学一年生)の健康な男子であつたから、満一八歳から六七歳まで就労でき、その間に少なくとも当裁判所において職務上顕著な事実であるいわゆる賃金センサス昭和六〇年男子の学歴計・全年齢計・産業計、企業規模計平均賃金四二二万八一〇〇円の収入を得ることができたと認められる。これを前提として、ライプニッツ法(係数一三・五五八)により中間利息を控除し、生活費の控除割合を五〇パーセントとして算した二八六六万二二八九円(一円未満切り捨て)が本件事故による死亡により同人が被つた逸失利益の現価額である。

四二二万八一〇〇円×一三・五五八×(一-〇・五)=二八六六万二二八九円

そうすると、この範囲内である原告の主張する逸失利益金二八六六万円は理由がある。

(二)  徹の慰謝料

健康で元気に通学していた徹が、柔道部の練習中に本件事故により重体となり、六日後に家族を残して満一二歳という若さで不慮の死を遂げたことによる精神的苦痛は甚大であることは推察するに難くなく、本件事故の態様その他の諸般の事情を考慮すれば、同人の精神的苦痛に対する慰謝料としては金一五〇〇万円をもつて相当と認める。

(三)  原告らは徹の父母であることは、当事者間に争いがないから、右(一)(二)の徹の損害賠償請求権をそれぞれ二分の一(二一八三万円)ずつ相続した。

2  葬儀費用

原告輝男本人尋問の結果によれば、同原告が徹の葬儀を執り行つたこと及びその費用を支出したことが認められるところ、その葬儀費用としては、金一〇〇万円をもつて本件事故による原告輝男の損害というべきである。

3  弁護士費用

原告らが、本件訴訟追行を原告代理人ら弁護士に依頼したことは、本件訴訟手続上顕著であるところ、本件事案の性質、審理の経過、認容額等を総合すれば、弁護士費用は、各原告につき金二二〇万円をもつて相当というべきである。

六  結論

以上によれば、原告らは、それぞれ、被告一郎、同太郎及び同花子に対しては、民法七〇九条に基づき、同焼津市に対しては国家賠償法一条に基づき、原告輝男につき金二五〇三万円、同美耶子につき金二四〇三万円の各損害賠償請求権があるものというべく、併せて右に対する遅延損害金として、右金額のうち原告輝男につき金二二八三万円、同美耶子につき二一八三万円に対しては、不法行為の後であり徹の死亡の日である昭和六一年八月五日から支払済みまで、また弁護士費用である各原告につき金二二〇万円に対しては、この判決確定の日から支払済みまで、それぞれ民法所定の年五分の割合による金員の各支払い義務があるというべきである。

よつて、原告らの本件各請求は、いずれも理由があるから、これを認容し、訴訟費用について民訴法八九条、九三条を、仮執行の宣言について同法一九六条一項をそれぞれ適用し、仮執行の免脱宣言については、相当でないからこれを付さないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 吉原耕平 裁判官 安井省三 裁判官 前田 巌)

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